← HOME

← SS・童話目次

 ほっぺにちゅ 


ほっぺにちゅ

【件名】 (non title)
【本文】 今日の夜とかヒマじゃない〜?遊んで欲すぃ

 突然、メールが来る。
いや、そもそもメールなんて基本的に突然に来るものだ。予告して来るものじゃない。しかし、頻繁に連絡を取っていれば、突然来るメールを突然と感じる必要はない。
が、さすがに別れたあとにしょっちゅう連絡を取り合ったりはしないわけで、ここ1年ではだいたい1ヶ月くらいの間隔で、メールが着たり、電話がかかったり。
受信ボックスを見てみる。やはり約1ヶ月。まさか意図的に1ヶ月にしてるわけでもないだろうし、1ヶ月に1度くらいは僕の顔を見ておきたいなんてことも、まぁ、ないだろう。気を使わなくてもいい相手とパーッと遊びたいのか、そのくらいの間隔でストレスが溜まるのか。そのうち、この間隔が伸び伸びになって、いきなり、結婚しました、なんて連絡が来きたりして。
そんな想像はなかったことにして、とにかく、彼女がまだ僕と遊びたいと思ってくれることを素直にうれしく思っておく。

(どうすっかな)
 実は今日は朝からお腹の調子が悪くって、起きてから僕の一番のお友達はトイレだった。昨日、暖かいからといって半袖で過ごしたからお腹を冷やしたのだろうか。さっき熱を測ってみたら37度2分あった。別にこの程度の熱で動けないということはないけれど、風邪のひき始めだとしたらこれから上がるのかもしれない。
(行けないこともないだろうけど…)
 お腹をさすりながら自分の体に調子を尋ねる。彼女だって無理をしてまで会って欲しいわけでもないだろう。特にこれといって話したいことがある様子でもないし、僕のテンションが低かったら楽しくもないだろう。
(うーん)
 電話ならまだしも、会うのは久しぶりだしなぁ。前に会ったのいつだっけ?そろそろ顔を見ておきたい気もする。この前の電話のときは体調を崩していたようだけど、今日は元気だろうか。
 とりあえず読んでいた本をキリのいいところまで読みながら考えることにして20分ばかり経ったが、出かけたい気持ちと体調との天秤はどちらかに傾くことはなかった。
結局、決めかねたまま様子を伺うような返信をすることにする。
【件名】 Re:
【本文】 遊ぶってどんな風に?またオール?

 11時を過ぎると帰る手段がなくなるのでオールになることがある。仕事の都合で待ち合わせ自体が10時過ぎの場合もあり、そうなるとオール確定。この前はそうだった。眠くなってボーッっとしながら、ナチュラルハイで遊ぶのは楽しいけれど、正直、今日の体調では厳しい。
 数分と待たずに返事が来た。僕に合わせると言っている。さっきのメールを休憩時間に送って、いまは仕事中かなぁ、と勝手に思っていたのだけれど、返信が早かったところを見るとすでに仕事を終えているのかもしれない。もしかしたら休みなのかも。
 向こうの様子を伺うつもりで打ったメールの返しが、こちらに合わせるという期待していたものではなかったので、さらに何時ごろに待ち合わせできるのか訊いたところ、それも合わせるという。やはり仕事中ではないようだ。どうやらすでに街中でブラブラしているらしい。すぐ合流すれば、体調が下方に推移したとしてもまだ足があるうちに解散、ということもできるだろう。
隠し通せればそれに越したことはないが、途中で無理を押してきたことがバレてしまって気を遣わせても悪いので、一応軽く体調に触れたメールを送る。
【件名】 Re:Re:
【本文】 すぐにでも合流できんの?なんかお腹痛いんだけど、まぁ、大丈夫かな。あんまり飲まさないでくれれば

 メールを送った後、すでに出かける準備を始めながら返信を待つ。電話がかかってきた。
「体調悪いんだったら別にいいよ。デパ地下でおいしいものでも買って帰るから。…何食べようかなぁ」
 彼女の中ではもう品定めが始まっているらしい。焦って言葉を返す。
「ちょっとお腹が痛いってだけで、別に具合が悪いってわけじゃないから大丈夫だよ。どうせ店ん中で座ってるだけでしょ」
 嘘だった。この数年で成長したところと言えばとっさの言い訳ばかりだろうか。夕方あたりからだるくって、さっきからすこし吐き気もしてた。体調が良くないのだから今日会えなくてもむしろその方がいいくらいなのに、何で僕の方が引き止めているのだろう。妙に必死な自分に気がついて苦笑する。なんだ、会いたいのは僕の方じゃん。次に会おうと言われるまでの期間がどのくらいになるかわからないけれど、それなら自分の方から誘えばいい。だけどそれができないからこの機会を逃すまいとあがいている。カッコわりぃ。
「確かにそうだけどさ。本当に大丈夫?」
「ん。平気。多分」
「う〜ん…わかった。30分くらいで来られる?」
「もうちょいかかるかもしれないけど、だいたいそんくらいだと思う。駐輪場のところに行くね」
「うん。待ってる」
「んじゃ、後で」
 1階にいる母に、出かけてくる、と告げ、ついでに一応薬も持っていく。冷えて悪化するといけないので上着を羽織って、一瞬なんとなく立ち鏡の前に立ってみたりした後、バタバタと自転車にまたがる。
原付で行ければ楽なんだけどなぁ。でも、そうすると飲めないし。僕だけ素面だと彼女がつまらないだろうし、何よりそうしないと甘えられない。それでは僕もつまらない。勝手の良さと打算とが頭の中を渦巻く。こんなことにばっかり頭の回転が速い自分が疎ましい。だから友達に腹黒だと言われるんだろうな、と苦笑する。
あ、MD忘れた。まぁいいか。代わりに自分で歌って行こう。このあとどうせカラオケに行くんだろうから、そのための声出しも兼ねて。

 臨機応変に青になった信号から曲がっていく。自転車はこういうことが出来るからいい。急げばバイクよりも早く街中に行ける。待たせてるから急がなきゃ。MDをとりに戻る時間を惜しんだのが無駄にならないように、平地なのに立ち漕ぎをする。お腹が痛いことなど気にしない。…別に気が急いているわけじゃないさ、とそわそわしている自分にいちいち言い訳をする。
 駐輪場から出て電話をかけると、まだこっちに向かってはいないらしい。とはいっても500mくらいの距離だけど。ここは待ち合わせスポットなので人がたくさんいる。知り合いに会ったら気まずいなぁ、と思い近くの店に入る。ちょっと寒かったし。
 彼女が来るまで意外と時間がかかった。どうやら途中で電話をしていたらしい。「いろいろあって電車で帰ることになりました」ということだ。彼女が乗る電車の終電は11時くらいか。いまは8時前だから一軒しかいけないな、頭が自動的に計算する。せっかく無理して出てきたのに…と少し思ったが、それ以上になったらオールしかないわけで今日の体調ではむしろ好都合じゃないかと思い直す。こういうのを心理学では合理化といったっけか。
 飲み屋で食べて、そのあとカラオケというのがいつものパターンだけど、今日は時間の都合でカラオケで食事も飲みも済ませることになった。飲み屋ではなくカラオケになったのは俺の「歌っていたほうが気が紛れる」と体調を言い訳にしたセリフのせいだが、本当は個室で少し甘えたかったからかもしれない。そろそろカラオケ行きてぇ!とカラオケ欠乏症気味であったのも確かだけど。

 飲み屋を探して歩き出していたところを、カラオケに軌道修正して道を戻る。
 この間までは二人で並んで歩いていると、なんとなく妙な感じがしていた。手をつないでいないことに対する違和感。恥ずかしいので街中ではあんまり手をつないでいなかったはずなのに、いつもそうしていたように思えて、思い出っていうのはいいところだけ残っていくものなんだなぁと、もてあました手をポケットに突っ込んだものだ。
しかし、それも回数を重ねていけば慣れてくるもので、違和感も徐々になくなってきている。ブラブラしている君の手を盗み見ると、あの頃はつけていなかったマニキュアが塗られていた。別れてから結構経っているし、僕も彼女も変わっていくのは当然で、その方がいいと分かっていつつも、でも、なんとなく淋しかったりもする。カバンを持っていない方の手を冗談めかして取ってみたら、君はビックリするだろうか。

「今日、寒いね」
 話しかけられて視線を移動する。そりゃ、そんな格好をしていたら寒いよ。女の子なんだからもっと冷えないようにしないと…と言いかけてやめる。
彼女は胸元の開いた服を好んで着ている。それに上着を羽織るくらいの格好をしているから、昔からよく寒くないなぁと思っていた。いまもそう思うわけだけど、別にそれだけなら言いよどむ必要もない。
そんな服を着ていて、それでいて胸が結構あるから、かがんだりすると谷間がちらちら見える。そりゃ、付き合っていたんだから谷間といわず中身だって何度となく見ているわけだけど、なんかやっぱり気恥ずかしくって、もっとあったかい格好をしろと言いたくもなり、でもやっぱりもったいない気もしたり、ちょっと待てよ、変な男が色目で見たりしてるんだろうか、してるんだろうな、やっぱりもっと服を着ろよと言おうとして、そんなことを僕が言う立場でもないだろうと思い直したりして、とにかくなんだかごちゃごちゃになって、結局「昨日はあったかかったのにね」と相槌を打つことになった。


「何名様ですか?」
 受付で訊かれ、2人だと答える。
 男女の2人組みのうち、どのくらいがカップルに見えるんだろう。仲のいい友達同士、もしくはカップル未満の組も結構いるんだろうけれど、元恋人という組み合わせってのはなかなかいない気がする。この店内にはいるだろうか。いたら見てみたい。どんな会話をしているのだろう。
「2時間でいい?飲み放題は?つける?」
 僕らの雰囲気はやはり、カップルに見られるにはどこか違っていると思う。例えば立ち位置。人のプライベートゾーンは60センチで、それ以上近づくことを許すのは自分に踏み込まれるのを許すことだというけれど、60センチの壁は破れても、30センチ以上には近づけない。そんな感じ。実際にそれ以上近づいて、肩と肩が触れ合ったとしても多分嫌な思いをしないではいてくれるんだろうけれども、なんとなくためらわれる。だからこそ心の距離なのだろう。

 部屋番号を聞き、マイクとリモコンを受け取ってエレベーターへ向かう。
「何階?」
「6階だって」
 答えを聞いてすぐ、彼女が僕の後ろから手を伸ばして6階のボタンを押す。その手がわき腹を掠めて、背中に胸が当たり、一瞬硬直する。おいおい、ちょっと触れただけで何焦ってんだよ、と自分に言い聞かせる。中学生じゃあるまいし。いや、いまどき中学生でもこれくらいで焦ったりはしないだろう。しかし、彼女の感触は僕に馴染みすぎている。思い出そうとしても思い出せないくらい時間は経ったはずなのに、一瞬で、つないだ手の感触や、抱きしめたときの感覚が戻ってくる。少しでも触れるともっと触れたくなる衝動が襲い、強く目をつぶって大きく息を吸う。ポーカーフェイスが得意でよかった。

 部屋に入り、明かりの調節をしたり上着をかけたりしながら、彼女が落ち着いて座るのを待ち、彼女の位置を確認して二人分の隙間を空けて座る。僕の中では女の子と遊ぶときのルールみたいなものだ。必要以上に近づくとお互い気を使ってしまう。その気があるなしに関わらず、だ。変に駆け引きのようなことをするよりも、気持ちよく過ごした方がいいに決まってる。相手も気づかないうちにいつのまにか距離を縮められるような奴がモテるのかもしれないが、どうも性に合わない。
さっきのエレベーターでのことを教訓に、さりげなく隙間に選曲本を一冊置いておく。ただでさえ酒が入ると甘えたくなるので、戒めがてら。近づくとそのまま抱きしめてしまうかもしれない自分が嫌だ。いつからこんなに我慢が効かなくなったのだろう。昔はそれこそ、相手が待っている状態でもなかなか出来なかったのに。一度その味を味わってしまうと、欲が出てくる。だったら、その欲が出るきっかけをなくしてしまえばいいのだ。人二人分の隙間より、意味のあるのは選曲本の30センチ。彼女と僕の距離である30センチ。

「なに飲むぅ?」
 選曲よりもまずドリンクメニューを手に、うれしそうに言う。
「私はねぇ、スプモーニ」
 受け取ったドリンクメニューをさらっとみて、指差しながらジントニックと告げる。
「よろしくぅw」
 彼女のほうが内線に近いくせに、当たり前であるかのようにしれっと言う。しょうがねぇなぁ、と言いながらも素直に注文しているあたり、これから先も彼女には勝てないんだろうなぁ、そんな思いを沸かせる。しかし、それも悪くない。安心してわがままを言える相手でありたい。
・・・やっぱり僕は彼女に甘いんだろうか。甘いんだろうな。僕が甘やかしたせいで、次の彼氏に泣かされてばかりだと愚痴っていたのはもう一年以上前のことだ。そんな電話も最近は滅多にかかってこなくなった。

 1曲目。新譜本の中から無難に選ぼうとする。選ぼうとはするが、新曲なんてわかるはずもなく、結局ちょっと前に流行ったラブソングにする。彼女はちょっと「お?」という顔をしたが、特にコメントもなく自分の曲を選ぶ。別にこれは聞いて欲しいという意図で入れたものでもないけれどちょっとだけ、ちぇっ、っと思う。

歌っている最中に飲み物が来て、とりあえず乾杯。ホントにお酒が好きなんだな。そんな顔をしている。それをかわいいというか、愛しいというか、そんな風に感じてしまう自分を自分に許してしまっている現状を、それでいいのだろうか、とたまに考えてしまう。
 さっきのエレベーターでの一件にしても、そういう感情があるから必要以上に戸惑ってしまうのだろうし、こうやって並んでいて、くっつきたい衝動を抑えることに努力が必要なことにしてもそうだ。別に恋愛感情という点で未練を残しているつもりはないのだけれど、彼女を駅まで送って行った後、なんとなく切なさに襲われしまうのは、やっぱりどこかにそういう部分があるからかもしれない。イヤイヤ、これはそういうんじゃないって。遊びに行って解散するときってそんなものだし、次にいつ会えるか分からないから、そういう感情の流れになるのは至極自然なことだ。ということにしておこう。
 ジントニックを多めに口に含み、一緒に入ってきた氷を噛み砕きながら、彼女の方を窺う。最近仕入れたのであろう曲を真面目に歌詞を見ながら歌う彼女に、僕のこんな女々しい堂々巡りを気づかれないように願う。これからもずっと。
 すでにスプモーニをあらかた飲み終えていた彼女は、歌い終わると同時に最後の一口を飲み干し、「次、何にする?」と笑顔を向ける。内線でカシスオレンジとモスコミュールを頼んで、半分以上残っていたジントニックを急いで飲み干した。

 1時間半経過。歌いたい曲がなくなってしまったらしい彼女は、リモコンを使って遊び始めた。とりあえず目に付いた曲を入れまくっている。そして僕に歌えと言う。選曲がラブソングばっかりでちょっと笑った。僕に歌わせてもしょうがないだろうに。ちょっと酒が回ってきたな。いま何杯目だ?同じペースで飲んでいるから…7杯か。別の友達とだと平気な量でも、彼女といるとやけに回るのが早い。僕の方も彼女に甘えている証拠なのかな。僕も結構酔っている。
 どうせ歌わせられるのだったら一緒に曲を選ぼうと、彼女のすぐ隣に移動する。間においておいた選曲本をよけて。流れとしては自然な動きのはずだけど、意図的によけた。30センチが邪魔だった。彼女は一瞬顔を上げて、何も言わず本に目を戻した。肩が触れるくらい側によっても、彼女は許してくれる。それは分かっていたけれど、そのことに改めて安心して、ニヤけそうになるのを抑えるために本に目をやる。ポーカーフェイスが得意でよかった。
酔ってくると甘えたくなる。友達同士での飲み会でもそうしたくなっちゃって危険危険、その癖をつけたのは僕だと、笑いながら文句を言われたことがある。けど、僕だってそうで、その癖をつけたのはやっぱり彼女なんだと言い返したことを思い出した。

 一緒に選曲本を覗き込む仕草で、腕と腕が触れる。顔が近い。彼女の香りがする。歌うために離れたり、また覗き込んだりを数曲繰り返し、しばらくの逡巡のあとで肩に手を回す。
「ダーメ」
 やさしく僕を押しのけると、彼女は人一人分身を引いた。30センチと少し。
 少し冷静になった頭が、またやっちまった、と呟いている。僕の方も少し下がる。灰皿を引き寄せて、タバコに火をつける。その様子を彼女がいじわるめいた微笑を浮かべながら見ている。
「またタバコ吸ってる〜」
 甘えたくなった自分を落ち着かせるため、そして彼女はタバコ嫌いだから離れて吸わないといけない。と離れる理由を自分の中に形作るためにこうした行動をとるということを、彼女が知っているのが性質が悪い。
 タバコを吸い終わるのを待つと、彼女は自分の隣をポンポンと叩き、こっちにおいで、と目で合図する。ついさっき、やんわりと拒絶したくせに、と無視していると、
「おいで」
と、今度は口に出して言う。そこまでされて断る術は持っていない。言うとおりに動いた僕を見つめる目がなまめかしい。いつのまにそんな顔できるようになったんだか。近づいていった勢いでくっつこうとすると、うまくかわされる。動物にたとえるなら犬タイプか猫タイプかという判断があるけれども、彼女は間違いなく猫だろうな。基本Mの癖に。いじめるのも結構好きらしいということを、僕は別れてから初めて知った。
もしかしたら、彼女がこうして僕を呼び出すのは、ちょっと寂しいときに、自分を求めてくれる人、だけど無理強いしない人、そして自分を好きでいてくれる人と関わりたいという部分があるのかもしれない。恋愛感情はどっかに置いてきてしまったが、僕が彼女のことを好きだと思っていることは間違いないし。なんてね。そんな小難しいことは考えていないだろうけどね。

 僕もいい加減酔っているし、そんな感じのやり取りを何度かしているうちに、素直に肩を抱かせてくれるようになった。いじけた僕を見るのに飽きたのだろう。その辺の気まぐれ具合はやっぱり猫だ。
 しばらくは大人しく肩に触れているだけだったが、僕にとって当然の流れというか、つまりはキスをしたくなった。彼女に言わせると僕はキス魔らしい。そんな言い方をされると、酔うと誰彼構わずにしていそうなので、僕は認めていないのだけれど、人によってはかなり理性のたがが緩くなるのは確かだ。
 そんな僕の気配でも感じ取ったのか、彼女は肩から僕の腕を外すと
「ポイッ」
と僕を投げ捨てた。
「えぇ〜」
と不満げな声を出して甘えつつも、大人しく引き下がってタバコを吸う。
 彼女がニヤニヤしながら
「チュウしようとしたでしょ?チュウしたかった?」
と問いかける。分かってるくせに。ここまできたら僕も
「あぁ、うん。チュウしたい」
と素直に言う。酔っている僕が彼女の前で格好つけることなんて出来ない。僕にとっても彼女は安心して甘えられる人であるんだ。
「ダメです〜」
「分かってるって」
 別にキスするかしないかとかそういう問題じゃなく、こういうやり取りそれこそが楽しい。
 まぁ、でも一応これ以上おいたしないよう離れたままタバコを吸っているところに、10分前の内線が鳴る。延長はなしで。
 最後に何を歌ったのか覚えていないのは酔っているからで、気持ちが安定していなかったからじゃない。

「忘れ物ない?」
「タバコは?カラなの?」
「・・・失礼」
 タバコを取ってマイクとリモコンの入ったカゴを持ってエレベーターに向かう。
 乗り込んで1階に着く直前、彼女が僕のほっぺにキスをした。すごく短いかわいらしいキス。驚いて彼女の方を向くと、えへへ、と笑っている。
「今日はありがと。楽しかった」

 なんとなくフラフラした足取りで駅へ着く。お互いの電車が出るまで多少間があるけれど、ギリギリまで一緒にいたりなんかはしない。改札を抜けたら振り返りもしない。
 だけど、それでいい。
 また今度、一ヵ月後か二ヵ月後か、いきなり呼び出されて会うのだから。そしてそこでまた、今日みたいな楽しい気持ちになれるんだから。
 発車まで間がある電車に乗り込んで、ほっぺに手を当てるとやけに熱かった。酔いが醒めるにはもう少しかかるみたいだ。






← SS・童話目次

← HOME



広告 [PR]  ダイエット キャッシング わけあり商品 無料レンタルサーバー