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 やさしい僕のままで 


やさしい僕のままで

 君の誕生日がいつだったか、もちろん忘れるわけはないんだけど、不意に訊かれたら、一瞬、間があるかもしれない。いま、僕と君の関係はそんな風になった。
 そのことを少し淋しくは思うけれど、君に対して(ちょっと悪いかな?)なんて勝手な罪悪感を覚えたりはしない。君には君の、僕には僕の時間が流れている。その時間の中で薄くなってしまったのではなく、新しい形として組み上げてきたもの。ちゃんと相手を大事に思っていることを知っているから、そのことに妙なセンチメンタルを感じることもなく、無理しないでいられる。



“いま電話しても平気?”
 いちいちメールをしてくるのが、そんな2人の距離を物語っていて、だけどそれでいいのだと思う。僕らはもうあの頃と違って、その日、その時間にお互いが何をやっているのか知らないわけだし。それに、そういう気遣いができる君らしさは、やっぱり好きだと思う。
 それでも(僕と君の間で、何をいまさら)という思いが頭をもたげてきて、僕の方は“うん”とか、“ほいよ”とか、昔と変わらない短いメールを返す。なるべく軽くなるように。距離を縮めるように。

「こんばんは。お元気?」
 別にかしこまったというほどでもなく、含み笑いをしながら、だけど少し丁寧に。これが君の決まり文句。付き合っていた頃もこんな感じだったろうか?もうこれに慣れてしまってしばらくたつから分からない。あの頃に比べて僕らは少し歳を取って、格好や生活が変わったけれど、声って全然変わらないものなんだなぁ、と毎回のように思う。

「まあね。変わんないよ。今日はどうした?」
 元気じゃないときは正直にそういうけれど、基本的にこれが僕の決り文句。僕はよく体調を崩すけれど、君に心配をかけないように、などという自己満足的なやさしさはもう必要ない。
 ただ寂しくなっただけのときも多いけれど、何かへこんでいるときもやっぱりかけてくるから、こんな言い方になる。別れてからしばらく泣きながら電話してくることも多かったので、心配するのが癖になった。「別に、なんでもないよ。話したくなっただけ」君がそう言うのを期待している。僕の余計な心配が、本当に余計なことならそれに越したことはない。

「酔っ払いなの。かまって」
 甘え上手だな、と思う。どこが好きかって訊かれたら、外見がタイプというわけではなかったし、そういうところだったんだと思う。最初は、キライじゃないし、ってなんとなく付き合い始めてしまったんだけど、君がそういう面を見せるたびに、ハマっていった。
 君のそんな声を聞くと、心の下のほうに積もっていた羽が舞う。心地いい。だけどあまり上のほうまで飛んでくると、古くなった羽は少し乾燥していて、チクチクと心をなでる。

「彼氏はかまってくれないの?」
 そう言いかけてやめた。君が僕に電話をかけてくるというのは、そういうこと。彼とケンカしたか、かまってくれないか。それでも、ちゃんと仲直りしてから電話してくる君を偉いと思う。どこまで頼っていいのか、その辺をわきまえている。
 それに・・・どうせ君はそのうち彼氏の話をする。愚痴がいつのまにかノロケに。少しだけやきもちを焼いてしまう自分はうまく騙す。大丈夫、もう、慣れた。それにこのくらいの痛みがあったほうがいい。じゃないと僕まで甘えてしまいそうだから。
 愚痴には慰めを、ノロケには軽口を。



 君の声が耳の奥でくすぐったいのは、僕たちが電話で触れ合った時間があまりに長かったからに違いない。君と話していると僕の中の何分の一かが、あの頃に帰る。
 まだ携帯なんて持っていなくて、時間になると電話の前で陣取っていたあの頃。そのあと、君と話すためだけに携帯を買って、布団の中で君の声を聞いていられるのがすごく幸せだった。
 だけど2年以上もそうやって確かめ合ってきた日々が、いまの彼氏との半年に敵わない。・・・参ったな。もっと無理してでも会いに行けばよかったんだろうか。3日にいっぺん会えれば最高。1、2週間会えないなんてざらだった。

「一日会えないだけでも辛いんだ」
 そう。よかったね。そういう人に会えて。だけど、僕のことはそこまで好きじゃなかったんだろうかとちょっと思ってしまう。バカだな。いまさらそんなことを思ったってなんにもならないのに・・・。
 いや、僕らはあの時、精一杯幸せだった。僕らには僕らの形があったし、君と彼にはまた二人の形があるんだろう。別に羨ましいわけじゃない。ただ、そうしていたら、どうなっていただろうと思っただけだ。
 だけど想像することすらかなわない。僕らの形はあれだった。それに、どんな形であったにせよ、こういう結果になっていたんだろう。
 “恋と呼ぶにはサヨナラを聞くことを 覚悟していた僕らだった”
 好きな歌手の歌の歌詞が頭をかすめる。


「今日、仕事でこんなことがあってね」
「この間彼氏とドライブしてきた」
 話すのは本当になんでもない世間話。君が寂しくて電話をしてくることが分かっているから、僕はもっぱら聞き役で。君が安心するための話し方ならよく知っているよ。たぶん、いまの彼氏以上に。
 僕の声を聞くと眠くなると言っていたね。自分の声は好きじゃないんだけど、初めてこの声をよかったと思えた。「おやすみ」を言うための寝る前の電話の習慣。いまだにその癖は残っているんだね。ほら、もう眠そうな声になっているよ。
 この睡眠薬の効果がなくなるのはそんなに遠くないかもしれないけど、それまでは僕を利用してくれて構わない。



「・・・・・・キスしたい」
 だんだん言葉と言葉の間隔が伸びてきたかと思うと、君が唐突に言う。眠くなってくると甘えたがるのも、僕はよく知っている。

「彼氏といっぱいしてるんじゃないの?」
「・・・でも、昨日はしてないもん。足りないよ」
 そんなことを言われても困ってしまう。電話越しではキスはおろか、頭をなでることさえできない。・・・それに、もとよりそれは僕の役目じゃない。

「・・・チュウ」
「何それ?」
「チュウ!!」
「アハハ、口で言うんだ?電話に向かってするんじゃなくて」
「・・・それは恥ずかしいもん」
「違いが分かんないな。なんかネズミみたいだし」
「ネズミじゃないよぅ。・・・チュウ〜」

 僕が同じように返すことを、君が望んでいるのは分かる。だけどこんな習慣、僕は知らない。君と彼氏の間の決まりごとなんだろう。それを僕がすることは後ろめたい気がする。だから、分かっていてあえて何度もはぐらかす。
 だけど僕の知らない君が見えることが癪に障り、お株を奪ってやりたくもなる。
 まあ、僕がそんなことを思ったところで、君は別段深い考えもなく、なんとなく言ったことなんだろうけど。

 それに何より口にするのが恥ずかしい。言えるか、そんなもん。
 僕にとっては「チュウ」と言うのも、電話に向かって音を立ててキスをするのも、同じくらい恥ずかしいことなんだけど、そんな微妙なところで恥ずかしがる君をかわいいと思ってしまった。言ってなかったけど、僕も君の声が好きなんだ。

 いくらはぐらかしても繰り返す君に根負けして、ついに言うことにした。2、3度息を深く吸い、整える。

「・・・・・・チュウ」
「アハハハハ、かわい〜」
「っな!なんだよ!陽子が言わせたんじゃねえか!」
「うん、だけどね、ぎこちないのがかわいかったの。初々しいというか」
「こんなん言ったことないんだから、当たり前だろ」
「やっぱ勝則かわいいなあ。勝則、このまま変わらないでね」
「何がかわいいんだよ。っかんねー」

 実際かなり恥ずかしかったし、大げさに恥ずかしがって見せたけれど、内心は君が笑ってくれたことの方が嬉しかった。これくらいのことをそこまで恥ずかしがるほど、僕はもう子どもじゃないよ。だけど、あまり素直にこんなことを言ったらまずいだろ。
 君はこんな余計な気遣いになんて、たぶん気づかない。でも、それでいい。とにかく、これで安心して眠れるね。

 君がこれを言わせたことにどれだけの意味があるのか。君がもし彼と別れたとして、僕とまた恋人になる可能性を含んでいるのか。たったひとつのことからでさえ余計な邪推をするのは僕の悪い癖だ。
 君は人恋しくて言った。言わせた。声の表情を読むのは、君に対してのみだけど、僕の特技じゃないか。君は、僕だから安心してこんなことが言える。
 それにそんなことを望んではいない。君が楽しそうにしていれば、それでいい。
 そうやって笑ってな。

「ありがと。そろそろ寝るね。おやすみ」
「うん、おやすみ」

 君の中ではやさしい僕のままでありたい。未練とかそういうのではなく。



 窓を開けて、君と別れてから吸い始めたタバコに火をつけた。







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